展覧会の穴
GALLERY wks.(大阪府)
2005年5月9日(月)〜5月28日(土)
展覧会場
会場: | GALLERY wks. [url] |
期間: | 2005年5月9日(月)〜5月28日(土) |
開館: | 11:00〜19:00(土曜日は11:00〜17:00) 日曜日休廊 |
住所: | 大阪市北区西天満3-14-26 中之島ロイヤルハイツ 11F 1103 |
電話: | 06-6363-2206 |
交通: | 地下鉄 南森町駅より徒歩8分 京阪淀屋橋駅より徒歩9分 梅田より徒歩15分 |
地図: | [url] |
作品写真
2005年のグループ展。木内貴志の初キュレーション展覧会。岡本光博氏の幻の企画展「平成天覧会」をベースとし、テーマを「穴」として開催。
出品作家:木内貴志 現代美術二等兵 shimoken 岡本光博
企画:(ジャパン)アートクラブ(木内貴志)
↑会場風景
ワークショップ:「画廊の穴埋め」(木内貴志)2005年5月28日(土)18:30〜
テキスト:柄タカシ(フリーライター)
「展覧会の穴」
とある貸画廊に、「穴」が空きました。この「穴」というのはいわゆる物質的な「穴」ではなく、貸画廊で展覧会を予定していた作家が、なんらかの都合により、キャンセルし、予定されていた展覧会がその期間、行われなくなった状態です。これは、週替わりで何らかの展覧会をすることによって存在価値を示している貸画廊にとっては、存続にかかわる危機であります。さらにその期間の貸画廊使用料も得ることができず、金銭的にも危機であります。
幸い、その期間までまだ数カ月の猶予があります。ここは一つ、ヒマそうな芸術家に片っ端から声をかけて、安い値段で貸すことで、このピンチをしのいで、画廊の面目を保つとするか、というわけで誰かがその穴を、無かったかのように埋めることで、画廊は面目を保ち、存続して行く…。
画廊というのは、壁がフラットで、たいてい色は白く、あらゆる作家がそこであらゆる表現をくり返しています。その壁をよく見ると、その画廊が古ければ古いほど、色んな作家の空けた無数の穴と、その穴を埋めた痕跡がたくさん見受けられます。
まるで、何事もなかったように忘れられて行く作品や作家の情念が染み付いているかのように…。
今回のグループ展、「展覧会の穴」は穴をテーマにしたグループ展です。4組の作家に「穴」や「穴埋め」をテーマにした作品を出品していただきました。この4組の作家は、それぞれが、微妙にリンクし、重なってたり共通していることも多い4組です。それが故に、「ネタ系」だの「お笑い系」だの「関西系」だのというレッテルを貼られ、十把ひとからげにされることも多いですが、実のところ、コンセプトも方法も表現媒体も微妙にずれていて、それぞれ全く独自な活動を展開しています。
この4組は、その傾向故にグループ展などでも、所謂「お笑い担当」的ポジションを強いられる傾向にもあり、意外にもそろって同じ場所で発表することはそれほどありませんでした。また、その「いろもの」扱いが彼らを「穴埋め」要員的にしか捉えていない傾向もあるように感じられます。(もちろん一部例外もありますが。)
そんな彼らの現状をも表現の糧、種というより「ネタ」にした作品を中心にこの非常に稀な面子による展覧会を企画いたしました。この展覧会が、少しでも閉塞した美術業界の「重箱の角」をガッチリとらえ、そこをしつこくつつくことにより、見事な風穴を空け、風通しをよくすることのキッカケになれば、と願っています。
(展覧会の穴、カタログ冒頭文より)
「展覧会の穴」とは実に意味深なタイトルである。
そもそも、「穴」にはいくつかの意味があるが、ネガティヴな、欠陥、弱点、損失といった意味がある反面、大穴、という言葉にあるような、それが転じてポジティヴになるような期待感のある意味をも持つ。
「マルコヴィッチの穴」や、「パンツの穴」のような映画のタイトルがある。(※注1)それらの映画も一口では説明しづらいのと同様、「展覧会の穴」とはどういうことであろう?
おそらく画廊関係者なんかが「展覧会に穴が空いた」といえば、それはおそらく予定されていた展覧会が何らかの形で開催されなかった、あるいは開催が危ぶまれてる状態をいうのであろう。
しかしこのグループ展は開催されている。
それでは、画廊に物質的な穴が空いているのだろうか。そういうモノもあるが、全てがそうでもない。
と、なるとやはり、大きな期待感をもった展覧会である、ととるのが一番前向きな答えかもしれない。
しかしながら、現実はこの展覧会はそもそも、所謂「穴埋め」の展覧会らしい。おそらく現在の美術業界、特に貸画廊界隈は、不況等の影響もあって、頻繁に「穴が空いて」、そのぶん秘かに「穴埋め」の展覧会が数多く行われていると思われる。
得てしてその穴埋めがまさに「大穴」となり、結果オーライで作家、画廊等も名をあげる、ということもあるであろう。
しかし、そのような安易な方法で、あまたの貸画廊は果たしてこれからも安泰で乗り切って行けるのであろうか?
今回の企画のテーマは「穴」である。しかもただのテーマのあるグループ展ではない。実際今回の展覧会は元々別の作家がやる予定だった、「穴埋め」展である。すなわち、展覧会の開催そのものが、展覧会のコンセプトを体現してるのである。
そしてもうひとつは、この企画に集まった作家たちである。ある意味、関西美術界のピラニア軍団、といった赴きのある、一筋縄ではいかない面子である。まさに大穴を予感させるにふさわしいメンバーだ。
この4組を見て思い浮かぶキーワードは「駄洒落」「ベタ」「お笑い」「ポップ」「庶民派」「社会派」「業界不信(または不相応)」「下ネタ」「小ネタ」等、いろいろ浮かんでくる。
それでは、各作家の簡単なプロフィールと今回の作品を解説しながら、それぞれの独自性を紐解いて行こうと思う。
※注1 奇しくも、今回出品の何組かから、同時に「パンツの穴」の名前が出てきた。同世代の彼らにとって、あのB級とされる80年代の映画が、いろんな意味でトラウマとなっているのであろう。彼らの作品のテイストと無関係ではあるまい。
(中略)
木内貴志「貸画廊の穴埋めます。」
そもそものきっかけは、某画廊より、冒頭にも書いた「画廊の穴埋め」に、彼に声がかっかった事である。本来若手作家は、それをチャンスと捉え、前向きに考えるものであるが、そのとき木内は、「そのような時にしか声の掛からない」自分に落胆し、かつ、自分の作品を知りもしないで声をかけてくる画廊に、強く不信感を持ったそうである。
その際、ある種「嫌がらせ」的に思いついた作品が今回の作品だそうだ。もともと画廊では、よく展示の段階で、絵画等を展示するために、壁面に釘やピンを打ち込み、その為に壁に穴が空くのだが、たいていの場合はそのような穴は、画廊または作家が自らで修復し、その程度では壁の修理代などは請求されることはない。
そういった事は各画廊で基準もいろいろだろうが、そこで木内はその不信感を持つ画廊に対して、「壁穴」の限界に挑戦しようと思ったそうだ。
巨匠や世界的に有名な作家等が関わる大きな国際展などでは、様々な無理難題も、なるべく作家のやりたいようにできるように周りが努力して実現に向かう姿勢があるが、小さな画廊で行われる、ペ−ペ−の新人の自主企画の展覧会に、画廊の規約を越えた「無理難題」が通ることは極めて少ないといえる。そこで木内はそのギリギリラインを狙って、ある種作品という名の嫌がらせを、作品化しようとしてるのでは無いか、と考えられる。
過去にも木内は様々な社会の矛盾や、形式化されて目的を失ったもの、無意味化してしまったことを、自らがピエロの用に演じることにより、暴露してしまうような作品を制作してきた。隠す事により強調されてしまう放送禁止用語。形式化されてしまった、芳名帳に名前を書く行為。基準がわからない「賞レース」。
そこには、木内が一貫して現状で感じたなんともわからぬが納得させられてる事にたいして、それを流さずに、1つひとつ検証しながら、表現にするという、彼の誠実さ、(といえば聞こえが良すぎるかもしれないが、)が伺える。
特に彼は自分の志すステージである「美術」そのものに対する問題意識は大きくあるようで、自ら「大回顧展」「木内賞」「キウチアニュアル」「キウチビエンナ−レ」など、美術の世界の「ベタ」な出来事を体現することにより明らかにするような作品を多くつくり、発表している。
最近では木内は、「そのような矛盾を感じても、ストレスと感じるより、ストレスすらも『面白い』事へと変換しようとしていて、実際それが面白がれるようになってきた。」と言っている。「トホホ、しょーもないな〜」と思うものへの感情が、軽蔑よりある種愛情となって表現される事が、彼の作品の独特の面白さではないか、と思われる。
結局、その画廊での話はなくなり、今回そのアイデアをこの展覧会で発表してもらう事になったのだが、壁に書かれた(描かれた)「画廊に穴をあけるな!」という一見するとダイレクトなメッセ−ジは、実のところ誰に向けられてるのかは不明であり、まるで近所の錯乱したおっさんのはり紙のような「庶民の現実」感と、それをミニマルに釘穴でそろえ、ミニマルアートのようにもとれるが、「穴をあけるな」と穴を空けて書くという、なんとも複雑な矛盾をも内包した作品だといえるだろう。
(展覧会の穴、カタログの柄タカシ氏テキストより、木内についての記述のみ抜粋)