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キウチビデオフェスティバル 〜VHSからDVD−Rへ〜
GALLERY wks.(大阪府)
2008年9月1日(月)〜9月20日(土)
展覧会場
会場: | GALLERY wks. [url] |
期間: | 2008年9月1日(月)〜9月20日(土) |
開館: | 11:00〜19:00(土曜日は11:00〜17:00) 日曜日休廊 |
住所: | 大阪市北区西天満3-14-26 中之島ロイヤルハイツ 11F 1103 |
電話: | 06-6363-2206 |
交通: | 地下鉄 南森町駅より徒歩8分 京阪淀屋橋駅より徒歩9分 梅田より徒歩15分 |
地図: | [url] |
作品写真
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2008年の個展です。個展としては1年ぶり、入室できるギャラリ−での個展としては約4年ぶりの個展です。
昨年3月に神戸のストリートギャラリーで出品した作品「キウチビデオフェスティバル2007」を中心に、新作も含めた展覧会です。
また、トークイベントも開催。
トークイベント「新土曜美に生きる巨人たちと出会う朝の美術館の壺」
vol.1:9月6日(土)テーマ「笑いと美術」
ゲスト:現代美術二等兵(籠谷シェーン ふじわらかつひと)
vol.2:9月13日(土)テーマ「テレビと美術」
ゲスト:岡山拓(美術家、ライター、美術教育者)
両日とも18:00〜20:00くらいまでダラダラと 入場無料
「キウチビデオフェスティバル2007」他、ビデオテープ作品の中に納められてる映像をつまみながら、ゲストの方々とお喋りしました。
それから、今回の展覧会の案内状は4種類あり、その4枚を集めて期間中会場にお持ちいただければ、抽選でもれなく「キウチグッズ」をプレゼントしました。(お一人様一枚につき一回まで)
これは「画廊巡り推進キャンペーン」の一環です。
『木内貴志の自ギャグ性について』
展覧会で作品を発表し始めて今年で15年目になる木内貴志。これまで一貫してメディアにおける言葉や美術の制度をセコく、くだらなく、オモロく、いじりつつ、同時にそんな業界の中で売れることを目指して格闘する自身を名前(=記号)と姿(=イメージ)で露出し続けてきた。(それ自体がネタ、否、言語的「作品」として成立しつつある作家プロフィールの個展歴を参照されたい。)
8回目の個展である本展「キウチビデオフェスティバル2008」でも、デジタル技術を駆使したビデオアートの祭典を思わせる大げさなタイトルをかましつつ、実際には超アナログ作品で来場者にまず膝カックン的脱力攻撃をくらわせる。
CDの登場でLPレコードが消えたように、DVD、そしてBDの登場によってすでに粗大ゴミになりつつあるビデオテープへのオマージュが、木内の20年に及ぶ秘蔵のコレクションを用いた自画像とみみっちい作業の積み重ねによるミラーボールへと煮詰められ、木内のアナログなアナクロニズムを際立たせている。
特権化され、お高くとまった「芸術」という文化的制度をあえて低俗でくだらない作品で批判する方法は、すでに100年を超える前衛芸術の歴史の中で一つの王道的戦略技法として確立されているが、木内のリングは日本の、とりわけ関西の美術業界というドメスティックなフィールドにある。そこで繰り広げられる彼の技の数々は、楽屋芸に陥ってしまう危険を犯しつつ、なによりもその業界の「せちがらさ」という急所を、自虐的ギャグのごとき作品で攻め続けてきた。
ひるがえって今回の作品群が示しているのは引きこもり度の高さだ。それは業界的「せちがらさ」を木内の個人生活の「貧乏臭さ」へと内面化し、そして再度、業界に投げ返すというひねり技である。作品がバカ売れし、企業家として成功するアーティストもいることはいるが、木内同様、芸術活動だけでは食えないために別の仕事を持っているワーキングプア・アーティストが世界中に山ほどいる。売れないオランダ人アーティスト、ハンス・アビングは経済学者というもう一つの職業から、なぜ「アーティストは貧乏なのか?」という、これまでの芸術論が見て見ぬふり、あるいはむしろ美化してきた「作家貧乏」の問題を取りあげ、『金と芸術』という本にした。(山本和弘訳、grambooks、2007年)経済的な力だけでなく文化的な力をも独占している権力者たちは、芸術を神聖化することによって、アーティストたちを飼い殺しにしているのだということを社会学者ピエール・ブルデューによりつつ、アビングは数多くの事例とともにこれまた自虐的なニュアンスを込めて弾劾している。しかも、芸術を応援するためのものだと私たちが思いこんできた芸術論や芸術教育も、結局のところ、その神聖化に加担しているのだという議論によって、リングサイドの私たちまでもガツンとやられてしまうのだ。
でも、でもね。急に弱腰になってしまうけれど、木内貴志の作品を見ていると、「美しさ」や「豪華さ」や「見事さ」とは正反対の「不細工さ」や「セコさ」や「しょーもなさ」も、たまらなくいいんですよ。それって、恐怖やグロテスクなものにも惹かれ、ユーモアやアイロニーなしでは物足りない人間の感性の懐の深さってやつのせいでしょう。ただし、ブルデューやアビングは階級や文化を高級と低級にざっくり二分化しているのだけれど、ハイブロウな「美しさ」や「豪華さ」や「見事さ」は下流階級出身の人間でも追求できるし、実際、実現してきた。けれど、逆に上流な人たちにはリアルな「セコさ」や「しょーもなさ」は表現できないはず。ここ!ここに下流階級が専有できる「上流、ざまぁ見ろ!」なポテンシャルが存在し、私たちは木内の作品に『蟹工船』のごとくそれを感じ取るのである!金や名誉や権力が一番エライという価値観を裏返しにした木内の作品には逆説の美学、あるいはリベンジの美学があると言えよう。
初期の美大生時代の暑苦しさから三十路過ぎのむさ苦しさへと熟成が進み、木肉汁、もとい、木内の肉汁とでも呼べるようなエキスが滲みだした彼の闘いを私たちは、いつか売れるかも、でも売れなくてもいいやん、とナマ暖かく見守っていきたい。
竹中(金) 悠美(美学・現代美術研究者)
(竹中悠美氏によるテキスト)
※同氏による大阪日日新聞の記事文章はこちら